創業天明2年(1782年だそうです)の老舗で業界では有名お米屋さん、亀太商店さんから今日メールをいただきました。それがまたすごいタイミングでした。
実は昨日、ふなくぼさんにお邪魔した際に亀太さんにも伺いたいと梶谷さんが言っていたんですが時間がなくて断念でした。ただ末安さんが明日もう一日東京にいることがわかりそれなら亀太商店さんに勉強に行って来なさいと梶谷さんから指令が出ていたのでした。
また今日の午前中にいらしたJA神埼さんが置いて行った天使の詩のパンフレットを見たら裏面1面が亀太商店さんでした。お~偶然なんて思っていた所に亀太さんからのメールが届きました。ひょっとして末安さんがお店に伺って話をしたのではと思って電話をしたらちょうどこれから亀太商店さんに寄らせてもらうところということでまた何というタイミングなんでしょうか。
メールの内容はMZ-05の使い勝手は、ということでしたが夜お電話させていただきました。
亀太商店さんは、カミアカリのアンコメさんと一緒にお米日本一コンテストの審査員をして懇意だそうです。亀太商店さんは錦糸町にあり私が就職したWAY-OUTのトレーナーやポロシャツを今でも持っていてくれるそうです。(WAY-OUTは、錦糸町に本社があり寮も錦糸町でした)。業平倉庫(ここを知っている人はほんとにコアな方)でセールをやったのですがそれにも来ていただいたことがあるそうで懐かしく思い出しました。
まあそれにしても狭い業界です。どこかで誰かがつながっているという事を改めて実感しました。亀太商店様、今後ともよろしくお願い申し上げます。またお店にお伺いさせて下さい。
コメント
片山さ~ん、昨日は大変失礼いたしました。私のメールから こんなにいろいろお付き合いが広がるとは思ってもみませんでした。末安さんが「片山さんから紹介で・・」とおっしゃった時、私は本当にキョトンとしてしまいました。「どうして私が片山さんにメールして一時間も経たないのに、そんなこと知っているんだろう?」偶然が偶然を呼んだわけですね、これがまさしくご縁。あれから久しぶり アンコメさんに連絡とりましたが、彼はそれを知ってか知らぬか、くしゃみ ばかりしていたそうです。さすが芸術家、なんだそりゃ。静岡駅を挟んで「両巨頭が やっとであったね、私は ほんとにうれしい!!」といったら「巨頭なんてやめてよ~、だけど片山さんと会えて良かった」と申されておりました。そりゃ 近くに気合の入ったお米屋さんがいりゃぁ 誰だって気になりまさぁね。私も船久保さんとは ちよっと前までは 名前は知っていたけど 近くなのにお互いまったくお付き合いがありませんでした。でも今ではなにかにつけては 行ったり来たり。やっぱり自分のもってないもの、違う感性にふれることは素敵です。
WAY-OUTの倉庫の近く、佐渡が嶽部屋の近くの今はもうない長谷川モータースでうちの軽トラは面倒見てもらっていました。WAY-OUTの話をうちのかみさんにしましたら、「あんたのお下がり今日、着てきた」というからピンク色のポロシャツの襟のタグを覗いてみたらWay と書いてありました。俺がいくらか細かった時着ていたポロシャツ、お前さん 着てんのか・・・トホホ。 WAY-OUT 我が家では私から かみさんに駅伝のたすきのように引き継がれ 今でも元気いっぱいです。あの業平の倉庫がなくなったときは 本当に これは現実か?とショックで 看板を下ろした倉庫の前を何度も行ったり来たりしたことを昨日のことのようにはっきり覚えております。今では 日本の時計の発祥の地、錦糸公園となりの 精工舎の工場もなくなり、オリナスという商業施設となり、そのとなりには 高級マンションが建ちました。(一説によると和田アキ子も住んでいるとか)錦糸町の北口は随分変わりましたょ。今度は是非 アンコメさんと しぞぉーかおでんで みんなでとことん熱~い 熱~いお米トーク ジャムセッション やりたいですね。こちらこそ どうぞよろしくお願いいたします。米は奥深すぎて いやになりますね、一生懸命 精米したところで 米は半製品、ご飯という完成品にさせるのはお客様、だから自分が精(しら)げた米がいったいどう化けるか?米はロマンいっぱい。
かめたのとし坊さん
コメントありがとうございますm(__)m
いや~ほんとに偶然が重なりましね。
こんな事もあるんですね。
アンコメさんとお待ちしています。
でもお店見たいんでそちらに伺いますか。
懐かしの錦糸町も見たいしなあ。
でも巨頭はやめてください。
そんなんじゃありませんので・・
WAY-OUTのことを話できるのは本当に嬉しいです。濃密な社会人生活でしたから。
原料で売るというのは難しいですね。
でもまったく同じ条件でしたら
イメージもあると信じてます。
熱~いお米トーク ジャムセッション
楽しみです。
またブログにお立ち寄りください!